ホームAVION ツアー日記タンザニア(ンゴロンゴロとマニャラ湖)

タンザニア(ンゴロンゴロとマニャラ湖)

タンザニア(ンゴロンゴロとマニャラ湖)

大変だ、もう1頭のライオンが来た!

ンゴロンゴロへの移動

日本が造ったマクユニ村からンゴロンゴロへの道路
日本が造ったマクユニ村からンゴロンゴロへの道路 ビューポイントから見たンゴロンゴロのクレーター
ビューポイントから見たンゴロンゴロのクレーター

 セレンゲティやンゴロンゴロへの、中継地アリュ-シャからの道は、アスファルトの平坦な道だ。車は速度80kmを遵守していて安全運転だった。
 町外れのコ-ヒ-畑を抜けると、タンザニア国防軍の一際真新しい住宅群が見えて来た。国防に専念させる為に、庶民より良い住宅環境や、兵舎環境を与えているようだ。
 マクユニ村からンゴロンゴロの外輪山(リフトバレ-)までは、緩やかな上り下りのある快適な道路だ。日本の鴻池が造った道だそうで、しっかりした良い道が続いていた。リフトバレ-の北にロルマラシン山(3290m)が壁のようにそそり立っていた。その辺りから道はジグザグになり上って行く。沿道にはところどころにマサイの村があり、道端にマサイア-トを飾って、旅人を呼んでいた。左側の下方には、マニャラ湖の大きな姿が見え隠れしていた。

ンゴロンゴロ ソパロッジ

ンゴロンゴロ ソパロッジ
ンゴロンゴロ ソパロッジ ンゴロンゴロ ソパロッジ(エントランス)
ンゴロンゴロ ソパロッジ(エントランス)

 ソパロッジは、クレ-タ-ロッジの反対側に当たるリムの上にあった。クレ-タ-に下りて行くゲ-トには、門限があって19時までにはホテルに入らねばならないと書いてあったと記憶している。だとすると、ナイトサファリなどは出来ないのだ。
 ソパロッジはやはりキノコ型の屋根を持った2階建ての棟が建ち並んでいた。
 バ-から望む景色や、部屋のテラスからクレ-タ-を望む景色は雄大で素晴らしかった。部屋は不思議で、入り口に大きなスペ-スがあってがらんとした感じだ。そこにクロゼットが置かれてある部屋、何もなく玄関役しかしていない部屋などばらばらだった。コ-トや洋服は一体どこに掛けるのだろう。洗面所は広く、仕切のある大きなシャワ-ル-ムが付いていて、換気も行き届いていた。
 ベッドル-ムはツインでダブル幅のベッドが置かれてあり、ゆったりとしていた。ベッドの足下には、小間物を置ける、三日月型の台が、ベッドと同じ高さで置かれてあった。
 今年の8月は殊の外、夜寒かったが、夜になると毛布の下に、湯たんぽを入れて保温してくれていたことは優しさと温もりを感じて、嬉しいことであった。
 だが、気に入らないことがあった。それは、朝早くサファリに出掛けたので、洗濯をフロントで頼んで、帰ってみたら、中味のプルオ-バ-が無くなってしまっていたことだ。
 応対したジェネラルマネジャ-が「社員にそのような不心得者はいません。洗濯部に廻すまで、何回もチェックしているのですから間違いは、絶対ありません。お客様の入れ間違いではありませんか」と言われたことだ。
 私は、ハウスキーパーを通じて頼めば良かったと反省しつつも、「それはおかしいではありませんか。客の言うことは、信用しないと言わんばかりではありませんか?せめて、最初からお気の毒です、よく調べてみます。とでも言ってくれたら気が済むのに」と言葉を返した。後味の悪い出来事だった。部下を信用するのは良いことですが、ちょっと度が過ぎていませんか?


ンゴロンゴロ自然保護区

 タンザニア政府観光局のパンフレットを見ると、国立公園は、キリマンジャロ、タランギレ、セレンゲティとマハレ山脈の四つしか載っていない。
 ンゴロンゴロは自然保護区で国立公園とは区別されているのだ。「もともとセレンゲティと一緒だったものが、ドイツの植民地時代、ンゴロンゴロに砦を造り、狩りをして動物たちを、食料や漢方薬の原料として輸出に励んだので、動物たちの多くが絶滅の危機に瀕したんだ。大戦後、イギリスの信託統治となり、動物の保護と、人間との共生を計って、イギリス人が1959年、セレンゲティと分離して自然保護区にしたんだよ」とドイツ人の住居跡の石垣を指しながらミンディが話してくれた。更に説明は続いた。「この大クレ-タ-は200万年前に火山の大爆発で山が吹き飛び、外輪山だけが残り、深さ600m、広さ800平方キロ、幅20kmのカルデラとして残ったんだよ。それで、1981年ンゴロンゴロを、世界自然遺産に登録出来たという訳さ」実際展望台から見た景色は、広大で幾つかの湖が点在し、ヌ-やシマウマの大群が一面に広がっていた。

ライオンのハンティングを見た!

オスライオン
オスライオン シマウマをねらっているライオン
シマウマをねらっているライオン シマウマをしとめた!
シマウマをしとめた!

 サファリカ-が3台集まっているところがあった。「ミンディ!あそこに行って見ようよ、きっと何かいるよ」「僕もそう思っているんだ」ミンディがスピ-ドをあげて近づくと、雌ライオンが1頭道端を中腰で歩いていた。今度のドライバ-はミンディとサミュエルだ。
 廻りにはシマウマの群れとヌ-の群れが草を飯ていた。のどかな風景である。ライオンは道にはみ出そうになりながら草を飯ている1頭のシマウマを狙っているらしい。「ミンディ、ライオンはあのシマウマを狙っているの?」「さあ!これから待ちに待っていたライオンのハンテンィグが見られるよ!」やや興奮しながらミンディは言葉を続けた。「ライオンはお腹が一杯だと3日も4日も獲物を捕らないんだよ。だからハンティングを短い滞在で見ることが出来るなんて、こんなラッキ-なことは無いんだぜ。僕だって久し振りだよ」ライオンは私たちの車の横を忍び足で前進して、5mほどシマウマに近寄った。そしてもう一台のサファリカ-を隠れ簑にして身を潜めている。3〜4分経っただろうか動き出した。今度はほふくするような姿勢でにじり歩きを始めた。頭を下げ、尾を立てて振った、と思ったら脱兎の如くシマウマに走り寄った。
 シマウマは必死に逃げたがたちまち追いつかれて、尻の上に覆い被されてしまった。シマウマは腰を折り、はずみでライオンが振り落とされた様に見えた。
 シマウマは、それチャンスとばかり逃げにかかったが、再びライオンに掴まり、首筋に歯をたてられた。足をばたばたさせていたが、やがて静かになってしまった。

助けたくても助けられないよ

大変だ、もう1頭のライオンが来た!
大変だ、もう1頭のライオンが来た!

 母親か兄弟らしいシマウマと他、数頭のシマウマで助けようとしているのか、6〜7mに近づいては後退りし、近づいては退いていた。やがて悲しそうに、いななきながら遠巻きにしている多くの仲間の中に消えてしまった。
 「もう1頭のライオンが来る!」誰かが小声で言った。なるほどもう1頭のライオンが倒した獲物の傍にいるライオンに小走りで近づいて来た。さっき尾を上げて振ったのが合図だったのだろうか?後から来たライオンは近寄って行き、獲物を倒して先に食べているライオンを座って見つめていた。一呼吸おいて2頭のライオンが一緒に獲物を食べ始めた。その度にシマウマの後ろ足が空を切っていた。
 仲間のシマウマたちと母親は、あきらめきれないような悲しい鳴き声をあげていた。反対側にいたヌ-とシマウマの大きな群れは、その鳴き声を聞いて一斉に走り去っていった。
 「本当にラッキ-だよ皆さんは!」ミンディが興奮覚めやらぬ表情で言い続けていた。「かわいそう!お母さんシマウマがかわいそう・・」女性達は涙ぐんでいた。

マニャラ湖の木登りライオン?

マニャラ湖のカバの池に集まる鵜、ペリカンの群れ
マニャラ湖のカバの池に集まる鵜、ペリカンの群れ マニャラ湖のカバ
マニャラ湖のカバ

 ンゴロンゴロの帰りに立ち寄ったマニャラ湖国立公園は、ンゴロンゴロの外輪山(リフトバレ-)の森で集めた雨が地にしみ込んで水脈を形成して幾つもの小さな清らかな湧き水が湧き出していた。その水が集まって枯れることのない清流となり湖に流れ込んでいる。
 マニャラ湖国立公園はンゴロンゴロのクレ-タ-よりも低地にあるので、この豊富な水で森が育ち湿地帯も広がっている。従って象たちは群れをなし、フラミンゴ、ペリカン、カバ、バブ-ン、ベルベットモンキ-などが多く生息している。「ここに住むライオンは、蒸し暑さを嫌って木の俣で涼を取り、皮膚を刺す虫をさけて地上より凌ぎやすく、獲物も見つけやすいという一挙両得で、木に登って生息するようになったんだよ」と我がドライバ-のミンディは、3つの理由を挙げた。木登りライオンはアフリカにライオンを訪ねる人たちには有名で、是非一度見てみたいものだ。
 「ガイドブックには、生息する木登りライオンはもう少なくて見ることは出来ないと書いてあるけれど本当に今では見ることは出来ないの?」と聞くと「そんなことは無いよ!出会うことはあるさ。でもこんな短い見物では無理だよ。あの崖の上にあるロッジに3〜4泊でもして、じっくりゲ-ムドライブを楽しまなくては、チャンスは無いよ」と言われてしまった。やっぱり何日もかけなければ、珍しい木登りライオンを見ることは駄目という事か。

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