ホームAVION ツアー日記ビクトリア・フォールズ(ジンバブエ共和国) レポート

ビクトリア・フォールズ(ジンバブエ共和国) レポート

ビクトリア・フォールズ(ジンバブエ共和国) レポート

入国手続き

世界第二の大きさとされるビクトリアの滝はジンバブエとザンビアの国境にある。
航空機のタラップから降り立と、飛行場の建物は外観と違って全く鄙びた小さな平屋だ。ここジンバブエの入国に際しては、少々難しさがある。外来客は総て、蒸し暑いこの平屋の中で足止めされ、ここで入国査証を取得しなければならない。
グループは少し人数が多いと、スタンプ押しが面倒なのか個人旅行者の後回しにされてしまう。一人45米ドル(2回出入出来る)も払うというのに、実に面倒くさそうに担当同士、お前やれ、お前やれとパスポートを回し合っているのである。
しかし、不思議なことに、査証をおろして貰うのを待っている私以外の団員達には、床に無造作に並べてある「トランクを持って外に出ろ」と云うのだ。
パスポートも無く、ビザも未だなのに邪魔だと云わんばかりだった。

久しぶり「ジョージ」

小一時間もかかって漸く入国査証を取り付け、屋外に出た。団のメンバーとガイドの「ジョージ」が痺れをきらしていた。ジョージは5月に来たときに会った面白い人なつっこいショナ族の男である。そしてよく見るとかなりハンサムで今年の秋、結婚するのだと云う。彼は英語でしか我々にはガイド出来ないのだが、日本語の歌をたくさん知っていて、話の合間に良く歌ってくれる。これらの歌は、ほとんど日本から一人、二人で訪れるお客様に教えてもらったのだと云う。英語を余り解さない日本からのお客様には一体どう対応しているのだろうか。これらの日本の歌が武器となって、歌いながら意志疎通をはかっているのだろうか。

ジョージは話す

「ジンバブエや今夜から泊まるホテルのあるザンビアは、南アフリカと違って黒人の国だから、何処へ行っても黒い肌の人で一杯だよ。」
 「でも、皆良い人、優しい人ばかりだよ。ちっとも恐ろしくなんか無いよ」
 「昔、11世紀ころ、ここにムタパ王国がバントゥ語族のショナ族とロズウイ族の連合王国として造られたのが始まりでね」と言って言葉を切った。「それ以前は皆さんが知っている、ホッテントットやブッシュマンが土着民として住んでいたんだ」と話を続けた。「その後、たくさんの変遷があって、1979年にロバート・ムカベ(ジンバブエ・アフリカ民族同盟を率いて、初代大統領になる)がロンドンのランカスター・ハウスに赴きイギリスと協約を結んで、ショナ族を中心とした現在のジンバブエが出来たんだ。つまりそれまで植民地(ローデシアの一部としてイギリス人の統治下にあった)のようであったものから完全に独立したのですよ」と話を終えた。
 このような話を聞きながら、ヘリポートへ向かった。ヘリポートへは、ほどなく着いた。ビクトリアの滝を先ず上空から全体を見て、そのあとで、ザンビア側・ジンバブエ側、両方の地上からゆっくり見極めようという考えなのである。

ヘリコプターで空から滝を見る


上空より
夕日

世界第二の大きさとされるビクトリアの滝はジンバブエとザンビアの国境にある。

ダイヤモンドが取れるキンバリーあたりでは、5時頃が夕暮れだった。飛行場を出たのが5時一寸前だったので、夕暮れが早く迫ってくるのではと内心気が気ではなかった。
しかし、ジョージが「9月の日暮れは6時15分過ぎで問題ないよ」というので一寸安心した。だが考えてみると、5人乗りのヘリ1機に15分間隔、4交代で乗るのだから時間がかかるのではと、やはり心配なことには変わりない。

リビングストン島や幾つかの島が川の中に見えるが、多分プリンセス・ビクトリア島の上であったろうか、かなり大きな島だ。眼下の低木林の中に象の群が見えた。
20分ほどの飛行でヘリポートに戻り、地上に降り立つと、空を赤く染めながら真っ赤な太陽が地平線に落ちてゆく。サビ・サビの夕日より大きく見える。待合室に戻ると、前に飛んだ皆から「飛行時間がもう一寸長いと良いのに、せめて滝の上で2回くらい旋回してくれれば良い写真がとれるのに」と訴えられた。もうすっかり夕闇があたりに立ちこめてきた。

ザンビアへ陸路で向かう

ジンバブエからザンビアへは、陸の国境を通らねばならない。ジンバブエ側の係官は終始にこやかで簡単に出国の手続きが終った。ザンビア側での手続きはそうは行かなかった。今夜から泊まる「リビングストン・ホテルから事前にビザの申請が出ているはずですが」とジョージが係官に云うと、ニコリともしないで、物憂そうに腰をかがめてリストの束を探り、やおら1冊を取り出して机の上に無造作に放り上げた。ぱらぱらと頁をめくり「リストの中には無いよ」と係官はそっけなく云うのだ。係官になにか話かけられる度に、ジョージは「サー」付けで受け答えし、「私が探してみます、お手を患わしては恐縮ですから、係官様」とファイルを手渡して貰い、記載してある名簿の中に私達の名前を懸命に探す。名簿はランダムに名前が並べられてあり、団体名などは記載されていないのだ。やっと探し当てて相手の機嫌を損ねないように説明する。「この人達がそうだと思いますが、印を付けておきましたのでパスポートと照合してみて下さい。係官様」とジョージは細心の注意を払い顔色をみながら、機嫌を損じないようにお願いする。
 国境からホテルまで僅か20分くらいの距離のところを、入国管理事務所で随分時間をとられ、1時間以上かけて通過したのである。観光を推進していながら、ここでも客扱いはしてくれていないのが不思議である。

闇に浮かんだ白いホテルの佇まい

ザンビア側にあるロイヤル・リビングストン・ホテルは2階建てで、8部屋づつある離れ屋風の建物が新月の闇に幾つか浮かんでいた。中に入ると部屋は広く、洗面所とバスルームがたっぷりあってほっとした気分になる。
ベッドの上に蘭の花びらがまかれてあって良い香りが部屋一杯に拡がっていた。男二人の部屋なのにだ。なにしろここのネームリストにはミスター&ミセスになっているからだ。日本から送ったローマ字のリストでは、彼らは日本人の名前も名字も判別出来ないのだろうか。あるいは、男同士が同室なんて考えられなかったのかも知れない。私の名字がいつのまにかミドルネームになっていて、同室者の名字がその後に続き、ご丁寧にミセスがつけられて「Hideo TAKAGI IZUMI Mrs.」となっている。
その話を聞いた皆は、新婚夫婦と間違えられたのではないかと盛んに冷やかすと「俺はオカマじゃないよ」と同室者はむきになった。
食堂はオープンエアーのテラスで遅い夕食を摂った。ここから明かりに照らされた大きなプールやバブーン(ひひ)がとび跳ねている広い芝生と、光を受けてカクテル状の波が光っているザンベジ川が望める。朝はどんな眺めになるのだろう。

ザンビアにひろがるビクトリアの滝


ザンビア側の滝

朝、ザンビア側の滝に出掛ける、ホテルから10分ほど歩けば滝の入り口だ。入場料を払って中に入る。滝の音はあまり聞こえない、5月に訪れた時は名前の通り、轟音が鳴り響き渡っていたのだったが。
ザンビア側の滝は「東滝」と呼ばれ、740mの滝幅である。水量が少なく、今は白糸の滝になっていてちょっと寂しい。滝壺に沿ってジンバブエとザンビアの国境を分けている川の突端・ナイフエッジという場所まで行くと、ジンバブエ側のレインボウ滝が間近に望める。レインボウ滝は水量がやや多く水しぶきをあげ、その上に美しい虹がかかっている、写真の被写体にはもってこいだ。ザンベジ川は地面の第一の裂け目に落ち、滝となっている。落ちた水は第二、第三の裂け目を縫って流れ下っている。第一と第二の間にビクトリア大橋がかかっていて、その中心にバンジージャンプが出来る場所があって人だかりがある。昨夜時間をかけて渡って来た、国境を分ける橋である。

ジンバブエ側からの眺望

公園の入り口にある小屋の中に公園の全体図が掲げられてある。そこの前に皆を集め、ジョージが説明をする。「地図の上部に、モシ オヤ ツンヤと書かれてあるでしょう、土人の言葉で雷鳴の轟く滝という意味なんです。」「イギリスの伝道師でアフリカ探検家だったリビングストンが女王の命を受け、南アフリカにやってきて各地を探検していたのですが、その途中1855年にこのあたりにやって来ると轟音が聞こえ、音を頼りにこの滝を発見したんです。そしてその素晴らしさに眼を奪われ大いに感動したんです。この喜びを本国に伝えようと、発見した記念にビクトリア女王の名を滝に付けたのが今日に至っているんです」「そして彼は、探検と伝道を続けながら北上を続けていったんです」などと話をする。と、物知りの同室者が側から「そうだ、リビングストンはその後、アフリカ中部で行方不明になったんだよな、そして確か、アメリカの新聞記者スタンリーがタンガニー湖畔ウウジ近くで彼を発見したっていう話を子供時代に読んだ本で覚えているよ」と付け加えた。
リビングストンの像の前には、デビル滝があり、今回は水こそ被らなかったが豊富な水が滝壺に落ち、水煙を舞い上げ、その上に美しい虹を浮かべていた。滝に沿った遊歩道を歩くと小路は低木を縫って続き、ところどころでインパラ、クドゥやウオーターバックなど鹿の仲間が顔を出す。
メインフォールはさすがに大きい。水煙が多量に上がっていて覗けなかった滝壺を、レインボウフォールで今回は見ることが出来た。なるほど、滝壺までの落差が高いなあと感嘆した。もし、これが5・6月の水量豊富な時期だったら、滝壺から巻き上がった水を嵐の中にいるように浴びて、全く見ることが出来なかったのだからこの時期に来て、滝の総てを見ることが出来た感じがした。

アフリカン・クイーン号


ザンベジ川クルーズ

河馬

アフリカン・クイーン号はザンビアのロイアルリビングストン ホテル宿泊者専用の観光船である。
 船は二階にもデッキを持ち、一階には中央部に机が置かれ、暖かい食べ物の入ったスパンがおかれている。デッキの一角にはバーカウンターがあってちょっと洒落た双胴船である。船縁には適当に椅子とテーブルが配置されている。皆、手に手に飲み物を持って、思い思いの場所に陣取ってクルーズの出発を待った。船はサンセット・クルーズと名打たれ、ザンベジ川を遡りながら、点在する島の川岸に現れる動物達や、川面に見え隠れするカバやワニを観察しながら沈む大きな夕日に浸るのが目的なのだ。

サファリ・ゲームと同じように、見張りが動物を見つけ、船を近づけて観察しやすいようにしてくれる。やはり、象が大きいから直ぐ見つかる、クドゥの群れやイボイノシシの群が現れる。水面にさざ波が立っている、カバだと船乗りが叫ぶ。4〜5頭のカバが水から鼻を出しているのが見えた。
「カバは、通常寿命が40年位、大きさは5トンくらいまでになります。水中に潜れる長さは普通3〜4分で、潜っては鼻を出し、又潜るということを繰り返しています。長い時には30分も潜っていられるのですよ。でも、かれらは草食動物で、岸辺にそれぞれ縄張りを持っています。縄張りは糞をまき散らして決めるのです」とアナウンスされる。

ワニが見えるぞ

ジンバブエとザンビアを分けるロングアイランドの岸辺に「ワニ」が見えると見張りが指さす、眼をこらすが、一向に見えない。すると物知りの同室者が叫ぶ「ほら、鳥が見えるだろ、あの鳥はワニチドリと言って、ワニの背中を歩き廻ったり、歯にたかった虫を食べる寄生鳥だよ!だからあの下の、まるで丸太のように横たわっているのがワニさ」。皆感心して聞いている。
川を遡り、ロングアイランド島を一周したころ日が落ちてきた。待望のザンベジ川に落ちる夕日の見物が始まる夕日が次第に落ちてゆく。この時期の太陽は5月の太陽に比べるとやや小さい。太陽は次第に赤みを増し、空や水を静かに照らす。赤く染まった雲と水、通りすがった小舟がたてた、細波の波紋を夕日が照らす。白い月が東の空から太陽を追いかけて現れる。赤い光と白い光が、きらきらと波紋の上で小さく交差する、神秘的な光景である。船が陸に近づくころ夕闇のとばりが一面を包んだ。

朝食のテラス・レストラン

早くから眼が醒め、相棒と身支度をして表に出る、今日も良い天気だ。庭に廻ってみると、芝の緑が美しい。木立の合間にハンモックがつり下がっている、一体誰がその上で休むのだろうか。バブーンが飛び跳ねている庭伝いにレストランに向かう。
空気が澄んでいて美味しく、都会とはまるで違う。レストランに着いてパラソルが開いているテーブルに座る。太陽は未だ清々しく熱を感じない。芝で覆われているここの庭園は広く、昨夜月光を浴びてきらきら光っていたザンベジ川の流れがその向こうに見える。プールではヨーロッパ人の夫婦が泳いでいる。静かな時の流れに身をゆだねていると心底から幸せを感じる。ボーッとしていたが、ウエイトレスの声で吾にかえった。
メニューを見ながら注文をする。コーヒーとグアバジュース、目玉焼きとトーストをと云う。ウエイトレスは分かりました、すぐお持ちしますが、と云いながら室内を指して「あちらに、果物やその他いろいろなものが取り揃えてありますから、併せてお好きなものをお取りになって結構ですよ」と云う。
朝食をゆっくり食べていると、仲間が段々にやって来て思い思いにテーブルに着いた。
今回私たちが訪れた南アフリカの中では、サビ・サビやビクトリア・フォールズの滝などは、大自然の中に私達を優しく包み込んでくれる場所である。悠久な自然の中に身を置いていると命が洗われるような気がして、このままずっと包み込まれていたいなとつくづく感じる。アフリカを訪れる人には、慌ただしい旅ではなく、何日か余裕をもって、ゆっくりした旅で訪れた方が良いとお勧めしたい。

驚いたヨハネスブルグ空港

新しい国内線との距離は200mほどあるが国際線との距離はそう苦にはならない。チェックイン前の免税申請カウンターはシステムがしばしば変更になるが余り面倒だとは感じない。国内で買い物をした際払った税金を還付してもらう手続きなのだ。
チェックインの前にスーツケースのレントゲン検査を受け、パスポートと航空券を提示すればボーデング・パスをくれる。そこからが問題が起きたのだ。

手荷物検査官のところでとんだ事件が

出国カウンターを過ぎると手荷物検査がある。ここが鬼門だったのだ。旅行中私はカメラ・バッグを財布替わりにしていて、ドル現金を購入時の銀行の封筒ごとその中に入れて置いていた。
レントゲンを通した反応は皆無だったのに、何故か係官がカメラ・バッグに手を突っ込んで現金封筒を見つけ「持ち込み時にこの金を申請したか」と聞いてきた、勿論、入国時に書く入国カードの裏面にある所持金欄に記載したのだが、複写式になっていないからコピーは当然返してくれていない。
「入国時に申請をしたが、受け付けたコピーは貰っていない」と申し立てると担当官は改まった調子で「そんなことは無いはずだ、別室で検査する」というのだ。しかしそう云いながらでも係官の目の動きは私に何かを訴えている。
ようするに「金をくれ」ということだと、ズボンのポケットにあった使い残しのドルを渡すと、素早く自分のポケットにしのばせて[OK]と通してくれた。
やれやれ、私が皆を世話していた様子を彼は添乗員だから金をもっているのではと目を付けていたのだろうか。

ところが、である

手荷物検査を終えた仲間が、免税申請で認められた書類を手に、現金化するため行列に並んでいた。その先を見ると、書類に従って計算をして小切手を発行しているところなのだ。出来上がった小切手を受け取ってから銀行の窓口で改めて現金にしなければならない、ややこしいシステムになっている。いやはや時間のかかることである。
列に加わっていると、一人の女性が近づいて来て「ちょとちょっと」と私の袖口をつかみ近くにあった女性用トイレに連れ込もうとした。咄嗟にカバンを仲間に預け、引っ張られてゆくと、トイレの中で「さっき、男の係官にお金を渡したでしょう、私にもちょうだい」と云いながら自分の口を手で押さえながら、「シー、口を利かないで、黙って早く、早く」と云うではないか。
驚いた、完全に二人ともグルになっている。仕方なくポケットを探り、今さっき友達から返してもらったばかりの20ドルを渡すと解放してくれた。
ヨハネスブルグの出国手続きの際、手荷物検査官には気をつけなければ駄目ですよ!この様な係官ばかりではないでしょうが、気を付けるに越したことはありませんよ!
ポケットにたくさんお金の入った財布や、カバンにたくさんお金を入れて置くと危ないですよ!
私は40年もこの仕事をしているけれど、このような経験は初めてだった。


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