ホームAVION ツアー日記台湾新幹線と阿里山(台湾)レポート

台湾新幹線と阿里山(台湾)レポート

台湾新幹線と阿里山(台湾)レポート

久し振りの台湾

6月下旬の台湾は梅雨が空けていると思って期待して訪れた。しかし今年も天候不順なのか、一日おきに雨模様で梅雨だった。


新空港がある桃園からバスに乗り、高速を走りながら見る郊外の景色は、5〜6年前とすっかり様相が変わっていた。桃園空港から市内に入るまでは、立体交差する何本かの高速が走っていて、緑多い景観が損なわれてしまっていた。やはり首都の宿命か?昔、どっしりと緑の森を従えて構えていた圓山大飯店は、道路に廻りを削られ狭い土地に押し込められているように見え、オレンジ色の新館の建物が突出して窮屈そうに建っていた。当時は緑の森に別荘の様に建っていた佇まいは、アプロ-チの便利さや都心からの時間短縮と引き替えにその優雅な面影が薄くなってしまっていた。周囲からの景観はゆうに30%以上損なわれている。

今回の目的

今回の旅の目的は三つあった。一つ目は昨年初から漸くダイヤ通り運行し始めた新幹線に乗ること。二つ目は嘉義という街から阿里山森林鉄道に乗って阿里山に上り、山頂でご来光を拝むことにあった。最後の一つは、台湾在住の友人を訪ねることであった。

新幹線運行開始が遅れた理由?

二日目、期待の新幹線に乗る日だ。現在は台北駅の地下まで延長されている新幹線駅は、ほんのちょっと前まで、一つ手前の板橋駅が始発駅だった。


地下ホ-ムで我々を待ち受けていた電車は、日本で製造された新幹線車両だから外見は見慣れている。一昨年運行開始予定が何故昨年春まで正常ダイヤで運行されなかったのだろうか。単に日独仏の合作だからという理由だけではないようだ。台湾政府が軍備増強の為に購入した戦闘機や兵器の決済の見返りとして、それぞれの国に顔を立てたことに原因があるということだ。別々の三者を合体させるのだから、不具合が生じるのは当たり前だった。あまり不具合が重なったので台湾政府は契約を反故にして、純粋に安全性や性能の点で日本のシステムに統一しようと真剣に考えたことがあったようだが、それは結局出来なかったようだ。これが運行までのモタモタの原因だったようだ。実際、システムはドイツ、運転手はフランス人で、システムを動かす人たちや運転手に賃金を外貨で支払い続けねばならないのだそうだ。運転手を簡単に台湾人や日本人と入れ替えることは出来ない事情がその辺にもあったといわれる。

新幹線のあれこれ


新幹線車内

車内の座席チャ-トのプログラムが発券機に付いていないようで、購入するまで座席番号は分からないというのが不思議だった。日本の新幹線車両を日本の技術ソフトで走らせるならば、こんな問題も含めてもっと早く乗客に便利な運行にこぎつけることが出来たのだろうけれども、国家間の裏事情は複雑のようで不可解だ。


瞬間最高時速300km、平均290kmくらいで1時間20分、正確に嘉義の駅に着いた。普通車の車内は3列、2列で車内販売も全く日本と同じだ。一等車も日本と全く同じ仕様で、違うところは車内の清潔を保つ要員が頻繁に車内を行き来してゴミを集めていることと、出入り口で車掌や売り子たちが車内に向かって愛想良く挨拶しないことくらいか。忘れてしまっていたが、日本の新幹線のグリ-ン車内サ-ビスで飲み物とおしぼりがあった一時期があったが、台湾の一等車内サ-ビスにそのおしぼりと飲み物がついていた。

熟年者割引は日本より良い条件

台湾新幹線の乗車券には熟年割引50%があることが台湾在住の友人の話で分かった。早速普通乗車券を用意してくれていた現地の旅行代理店に問い合わせてみると、それは在留者対象だけだという。どうも納得が行かなかったので駅に行ったとき、確かめてみることにした。するとやはりビジタ-にも適用されることが分かった。ようするに現地の旅行会社も情報不足か、来台者が来る数日前でないとその年齢などの詳細が分からないということで、面倒でいいかげんな返事をよこしたのかも知れない。実際2〜3日しか滞在しないグル-プの名前も年齢も直近まで分からない相手だからまともな対応をしてくれないのは当たり前かも知れない。


65才以上でパスポ-トを提示して年齢が証明出きれば、割引で購入出来る。もっとも今回は、購入依頼の際に全員70才を越えていることを現地の旅行会社に知らせていなかった当方に落ち度は100%あったのだが。どうも普通運賃で支払ってしまったことが癪に障ってしようがなかった。


そこで、帰路、窓口で既に用意されていた普通乗車券とパスポ-トを提示して、1等(グリ-ン)車への乗車変更を、最悪差額を払っても良いと試みてみた。するとグリ-ン券3000円相当分は往復普通運賃と熟年者割引への変更分に吸収されて若干のお釣りがきたのだ。やれば出来る。やっと疑問から解放されて溜飲が下がった。

阿里山森林鉄道

阿里山森林鉄道も同じ手口で乗車券の割引購入が出来た。


森林鉄道は洒落た赤と白のボディカラ-の客車4両編成である。機関車は三菱製ディ-ゼル、かつては弁慶号のような形をしたアメリカ製シェイ・ギヤ-ド・ロコが牽引していた。駅には蒸気機関車の雄姿が写真となって飾られていた。今でも要請があれば特別仕立てをしてくれるようで、鉄道マニアの人気を集めているのだそうだ。


阿里山鉄道


レ-ル幅は75cmの狭軌で時速30kmくらいの速度でゆっくり登ってゆくのだから、以前に乗った、ペル-のクスコからプ-ノ(チチカカ湖湖畔)までの山岳電車に匹敵する。ペル-では、もの売りが走っている電車に飛乗ったり飛降りたりしながら物を販売していたのだからやはり平均時速20km以下だったのか。


しかし、車両そのものは両者断然違う。ペル-・レイルの車両はウッドチェア-、こちらは25人乗りの車両で、回転式座席でリクライニングのソフトチェア-である、空調も勿論完備している。ペル-に較べれば一等車だ。


空調があって冷房が利いているとはいっても、気温は100mで1℃違うから下界が32℃でも800mも上昇すると8℃くらい下がって、もう冷房は必要なくなってしまう。実際寒くて仕方なかった。

落石事故に遭遇

1549mの標識がある十字路駅を通過して間もなく突然電車が急停車した。落石防護柵の隙間から、土砂滑りで落ちたおびただしい木や石が数十メ-トルに亘って見えていた。これは大変!42番目のトンネルの出口が落石で塞がれていたのだ。時速20kmが幸いしたのか線路上を滑空することもなく、落石にも乗り上げずにトンネル入口付近で停車してくれた。事情が分かった乗客は全員安堵で胸をなで下ろしていた。


しばらく、乗務員が非常用電話でやりとりを続けていたが、やがて電車は何事も無かったように逆走を始めてさっき通過した十字路駅に戻った。


30分ほどでホテルの送迎車が駅下の道路まで迎えに来てくれたので、予定より2時間ばかり遅れてホテルに到着出来たのである。


後で、私たちは冷静に考えて見ると危なかったけれども、運が強く非常に珍しい事件に遭遇したことになったのである。


同じこの日、台北近郊の陽明山でバスが転落して死傷者が出たことを夕方のニュ-スで知った。いずれも二日ほど前まで連日降っていた雨で地盤が緩んでいたせいであった。

祝山線に乗ってご来光を拝む


ご来光を待つ台湾、中国の観光客
ご来光の観光客をあてに出している露店
阿里山から臨むご来光

この頃の夜明けは5時20分、日本より大分遅い。翌朝はラッキ-なことに嘘のように晴れていた。3時半にモ-ニングコ-ルがあって4時20分発の電車に乗ることになった。


ご来光を見に来る乗客の為に、阿里山駅から更に高い祝山駅まで6kmばかりを観日列車と呼ばれる電車を祝山線の上をロングシ-トの車両で毎日走らせている。


ご来光を見にきた人たちばかりだから、週末は当然満員だ。一台目の電車に私たちは乗れなかった。乗客が多い時は2列車運行するのだそうで、10分くらい遅れて来た電車は空いていた。この駅・沼平から乗車の客は全員座ることが出来た。


祝山駅で下車して150mほど更に山を登った海抜2484mの展望台に到着するとたくさんの人たちが集まっていた。夏至のころは玉山の左に聳える3100mの郡大山付近から太陽が昇ると云われている。すでに空は明るいが未だ太陽は顔を出していなかった。やがて雲が茜色に染まってくると曙光が現れだした。


日の出だ。荘厳な雰囲気が周囲に漲ってきた。手を合わせて拝む人、私のように夢中になってシャッタ-を切る人などが一体となった。

阿里山と玉山(新高山)


阿里山 森林遊歩道

現地に行くまでは、新高山は阿里山だと思いこんでいた。新高山は現在玉山(3952m)と呼ばれていて、阿里山が玉山山脈(3000m級の山々)の前衛となっている別の山脈(2300m級)の総称だってガイドさんが教えてくれた。


しかも新高山の命名は明治天皇が「本州の富士山以上に高い、新しい地にある山」という意味で名付けられたのだと始めて知った。阿里山は檜の原生林に覆われているので、素晴らしい材質の檜が多く、1911年阿里山森林鉄道を開通させて以降、伊勢神宮の鳥居や本殿改築材として切り出され運ばれていたと話してくれた。


私たちは森林浴を兼ねて檜の原生林中を歩いた。高く聳える木立の中は清々しく、ところどころに切り出された大木の切り株や雷に打たれて朽ちたのか、祠状になっている太い根がア-チのように散在していた。1時間ばかり歩いて引き返したが、巨大樹林やタイから寄贈された七宝の仏像が祀ってあるという慈雲寺までもう少し歩けば良かった。ホテルに帰ると突然雨が降り出して来た。
またまたラッキ-で、ああ、あれで引き返して来て良かったのだと自らに言い聞かせた。

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