朝日を浴びて煌くワット(寺院)を夢見て
朝4時半、幸い雨は降っていない。車に乗って闇の中を遺跡の料金所に向かった。遺跡に入るには入場パスを購入しなければならない。夜空には新月を過ぎたばかりの爪先のような月と大きな明けの明星(金星)が並んで輝いていた。
「2時頃、夜空の星が奇麗だったわ」「そう、私は3時頃窓から見た星空が奇麗で、アフリカを思い出していたの」「あっ!稲妻だ」誰かが叫んだ。金星の右端に閃光が2度3度走った。「雨が来るのかしら」不安そうな声が聞こえる。バスから降りて入場パスの発売をたむろしながら待ち、口々にお喋りをしていた。「稲妻が走っているけれど雨は大丈夫?」一人がガイドに聞いた。「今日は、雨は降りません。向こうの稲妻の下あたりに降っているのでしょう。こちらには来ません」と皆の心配をよそに自信ありげな顔で答えていた。
やがて係員が現れ、入国管理のデスクの上にあった小型カメラと同じものに、顔を向けるよう促された。写真入りのマルチパスを作って貰う。何でも不正利用されない為に顔写真を刷り込んで作るのだそうだ。
西門の王道から内部へ
アンコ-ルワットの四方を取り巻いている環濠に架かっている橋を渡る。ガイドが盛んに撮影ポイントに案内し、説明する「王様の門からワットを見てください3本の祠堂しか見えないでしょう?昔は王様しか通らなかった正面の西門から中に入ります。私の案内する場所からは、五本の祠堂が見える絶好の場所です」指さす方向に森のような黒い塊があった。懐中電灯で足元を照らしながらデコボコ道を進み内部に入った。
西門に近づいて目線を上げると、消えていたアンコ-ルワットの巨大なシルエットが眼前に聳えていて、思わず息を飲み込んだ。幾分明るくなったのだろうか。
19世紀のフランスの探検家アンリ・ムオ-がアンコ-ル(城都)遺跡に来て書き記した「この寺(アンコ-ルワット)を見ていると魂はつぶれ、想像力は絶する。ただ眺め、賛嘆し、頭の下がるを覚えるのみで、言葉さえ口にでない。この空前絶後の建築物を前にしては、在来の言葉ではどうにも賞めようがない」と云う一節がある。
シルエットに思いを馳せる
私は西門付近に転がっていた石に腰を下ろした。この巨大なアンコ-ル遺跡のシルエットを目の前にして、ムオ-と同じ思いに耽った。熱帯ジャングルの奥に、ひっそりと朽ちかけた姿を留めていた、アンコ-ル遺跡と初めて出会って大いに驚嘆したルオ-の心境はいかばかりだったろうか。
城都内を往来する、ミルクのように白い乳房も露わに、裸足で歩く女官(デバ-タ)や王妃たち、大行列を組んで贅を尽くし煌びやかな象に乗って王宮から現れ、ワットに入る王の姿などをタイムスリップして現実に見ているように、夢幻の世界を彷徨っていた。
これは、元朝の使節、周達観がアンコ-ルに一年滞在(13世紀)して記した「真臘風土記」の触りに書いてあった文言を引用してみた。
次第に白みがかった空、シルエットから徐々に壮大な現実の姿が現われてきた。第一回廊の基壇の両端と中央祠堂の先端を目線で結ぶと、奇麗な二等辺三角形になっている。
私は只々その精緻な設計に圧倒されるばかりだった。中央祠堂の後ろに懸っていた雲はみるみる大きさを増し、西に広がってきた。「ああ、今日も太陽は駄目か!」昨日に引き続いて来ただろう旅人の声がした。
12月から2月にかけてなら、当たり外れの少ない一番良い季節だと知ってはいたのだが、これを見たい一心で訪れたのに、やはり時季が悪く、雨こそ降らなかったが、天は味方してくれなかった。
黎明を浴びて蓮池に、それでも影を落とす五本の祠堂をカメラに収めた。
アンコ-ルワットを見ずして結構と言うなかれ
「ワットの背後から昇る朝陽を浴びて、金色に輝く中央祠堂の姿は神々しく、アンコ-ルの朝日・夕陽を見ずして結構と言うな、と言われるほど、訪れる人々の心に一生残るのです」ガイドの話が虚しく心に響いた。
きっと700年昔、煌く陽光を浴びて金色に輝いた中央祠堂が、この蓮池にその姿を後光と共に映し出し、城内に暮らしていた6万余の人々は、現人神に似た王に対する恐れと神々しさを感じ、戦慄を覚えていたに違いない。「天の岩戸と天照大神」の物語を思い浮かべた。
私たちは未だ遺跡群のほんの序の口しか見ていない。この後訪れる、崩れかけあるいは、修復途上の幾つかの寺院や城都遺跡に、クメ-ル王の絶大な権力と富力の偉大さを知るだろう。また、その王のもとで、粉骨砕身、次第に形になって出来上がってゆくワットに満足感と幸福感を味わいながら、建造し続けた人々の叡智と忍耐力の結晶に感嘆し続けるだろう。胸を躍らせた。
精緻なレリ-フ(浮き彫り)
アンコ-ルワットで驚いたのは規模の壮大さと、見る角度で4本の煙突が一本に見えるという、視覚と錯覚を意識した建築技法が活用されていることだ。五本の祠堂が見え隠れし、時には3本に、ある時は4本になるというようなものだけではない。
クメ-ル文化の円熟期に、匠達によって描かれた薄肉彫絵巻物の多さと精緻さと、素晴らしさに見惚れてしまう。
第一回廊の西面南側から始まっている、王族相互の血みどろの戦いによってでき上がった建国物語「マハーバーラタ」と「ラーマーヤナ」は、ロマンに満ちあふれていた。また、回廊外側の壁面にはおびただしいデバタ-(女官・女神)たちが様々な顔立ちと踊りの姿態で彫られてあった。皆一様に微笑みを浮かべ、中には歯を見せているデバタ-も見られた。
天国と地獄の絵図はどこの国の宗教物語も一緒である。ガイドが「ス-ルヤバルマン2世は政敵や戦いの相手に酷い死を与えたので、ヴィシュヌ神と合体して誰よりも天国に行くことを願っていたから、殊更、描かせたのではないか」と話していた。
バイヨンのレリ-フには、宮廷内部の女官や饗宴するデバタ-たち、権威に満ちた王様の姿などと当時の食生活や風俗、ジャヤバルマン7世の出陣と戦いに臨む象軍団、傭兵や正規兵の姿などが克明に、精緻に浮き彫りとして残されていた。その中には、影のようなものが付いていて、二重にも三重にも見える。それらが大勢の人々を表し、同時に動画の役目も果たしているという説明を聞いて驚いた。「動画のイメ-ジがこのころ既にあったのだろうか?」
何の為に、誰に見せようとしたのだろうか?
しかし、これらのレリ-フや彫像は一体誰に見せようとしたのだろうか? 下々の民や朝貢の外来人が王宮を訪れた時に、王の偉大さを知らせようと試みたのだろうか? 毎日廊下を往来する王の為に、王は偉大なりという「王の思い」を描いたものだろうか?
単に装飾として描かれたにしては、物語が長すぎる。「乳海攪拌の物語」は、神は永遠だということを伝え、その神自身が王だと言っている。キリスト教会に入ると、ステンドグラス一杯にキリストの誕生から始まって、聖書の中身が描かれ、聖者の施した奇跡が表わされているのと似ている。人間の頭で考える権威や恐れを伝達する表現方法は、古今東西共通で、無知の人や無信仰の人々に絵解きをしながら、権力者や聖者の意志を、恐れと共に伝えようとしているのではないだろうか。
壁面を指さしながらガイドが物語を話しているが、周囲の雑音のせいで、明確には聞き取れない。「乳海攪拌はヒンドゥ教の天地創生神話で、神々と悪神ヴィュシヌが大蛇ヴァ-スチ(ナーガ)の胴体を綱にして綱引きをしながら乳海を攪拌し、不老不死の妙薬を得ようとした。結局妙薬は神々の手に渡り永遠の命が授かり、神々は永遠のものとなった・・・」と。
王宮が放棄されて700年、熱帯雨林の繁茂による自然の猛威で破壊され、さらに近隣諸国からの侵略によって破壊や略奪が繰り返された。僅かに残ったこれらの文明は、19世紀から始まった西欧人たちの激しい略奪競争でめぼしい多くのものが持ち去られたと伝えられている。それらはパリ博覧会で展示され、極東ブームを引き起こし、今でもギメィ博物館に収蔵、展示されているそうだ。それにしても、たくさんのレリ-フが文化遺産となって、未だ眼前にあるのには驚くばかりだった。
微笑する観世音菩薩
アンコ-ル・トムの中央にあるバイヨン寺院の、第二層の中央テラスには、囲む様に16基の尖塔がある。今まで見てきたワットとは異なって大乗仏教の時代だったそうだが、それぞれの尖塔に四面菩薩が彫られてあった。
しかし、多くは剝取られ、あるいは、風化によって朽ちはてていて、昔の姿を留めているものは少ない。それでも50くらいの菩薩が残っていて、ひとつひとつのお顔の表情が穏やかで、口もとの笑みがそれぞれ異なって見える。
何故一つ一つの微笑みの表情が違うのだろうか? よく見るとお顔立ちは、多民族を表象しているかのように、それぞれ若干違うように見える。
当時、四面菩薩は輝いた神々しいお姿で、東西南北四方の下界を慈愛の目で見つめ、様々の民族の人たちに慈悲を施しておられたのに違いない。
中央神殿を囲むように聳えている仏塔の幾つかの中で、三つの尖塔に彫られた菩薩のお顔が重なって三重に見えるポイントがあった。転がっている石に座って、じっとそれぞれの菩薩の口もとを見つめている旅人がいた。永遠の時の中に身を置いて、瞑想しているかのように見えた。心の会話を古と交わしているのであろうか、それとも詩情に耽っているのであろうか。
写真を撮るには絶好のポイントで、付近にはヒンドゥ神の姿をした村人たちが、「記念写真を!」と呼んでいた。
アンコ-ル遺跡の素晴らしさ
アンコ-ル遺跡の素晴らしさを、何をどう話したり、書いたりすれば良いか筆舌することは、全く難しい。
ラオス、ベトナム、タイ、マレ-シアなどを版図とした大国であった当時のアンコ-ル王国が、熱帯雨林の平原の中に現代にも通じる、綿密に計算された土木工学技術と緻密な芸術表現で壮大な城郭都市や寺院を建設して現在に至っていることで先ず驚かされた。
だいたい、①誰が現代の製図や完工図のデッサンを描いたのであろうか。②誰が設計思想の伝達や教育のタクトを振っていたのだろうか。③それらを見ただけで、それぞれの持ち場で、寸分違わない仕事が出来たのであろうか。④建築資材の選定や行程図を誰が描いたのであろうか。⑤これだけ大量の切り整えられた石を、何処からどうやって運んで来たのだろうか。⑥どれだけの人数で、どれだけの日数をかけて、幾らの建設費で造営に励んだのか。⑦石像は何処で彫り、どうやって運んで来たのだろうか。
想像もできないことばかりで、その素晴らしさに感動し、驚ろかされてしまった。
ジャングルの緑と 碧空に浮かぶ白い雲は 地上に敷き詰められた 緑の絨毯とともに 遠い昔にわたしたちを誘う 密林の中に 幾百年も経て佇んでいる アンコールワットの群れは 真っ青な空に 黒々と浮かんでいる |
五本の尖塔で アンコール・ワットは ヒンドゥの教えに従って 天との融合を目指し どこまでも高く天を突き指す アンコール・トムの 中核にあるバイヨン寺院は 大乗仏教の四面仏で囲まれ 穏やかな微笑で 地界に慈悲の光を放つ |
目を閉じれば かすかな風のそよぎを感じ 灼熱の太陽で むせ返る大地の匂いを感じる アンコールの 遺跡群は悠久の姿を残す 陽炎は目の中に ゆらぎたち 400年もの、昔の槌音が 人々のせわしない息遣いとともに かすかに聞こえる |
東洋のモナリザ・バンテイアイ・スレイ
アンコール・ワットの北東40Kmにあるバンテイアイ・スレイ寺院は「女の砦」という意味なのだそうだ。西暦967年にシュバ派の寺院として建立された。
私たちはその中央神殿に刻まれているデバタ-「東洋のモナリザ」が世界屈指の美術品だと聞いて訪れたのだ。
フランスの作家アンドレ・マルローが剥ぎ取って母国に持ち帰ろうとしたと云う謂れがある。マルローがここに相棒の美術家と来たときには、がれきの山で、金になる美術品が無いか探索している最中に、一面シダの木の蔓に覆われた壁面に微笑みを浮かべた、女神の浮き彫りを見つけた・・、と著書「王道」の中に書いてあった。今は復元された祠堂の柱に数対の女神像がある。「正面右手の柱にある女神が東洋のモナリザです」ガイドが指さした。今では観光客が近寄れないように四囲に縄が張り巡らされている。遠くからなので表情が良く読み取れないのでカメラの望遠で写した。モニターで拡大して見ると、成程、美しく神々しい表情が浮かんでいた。
私たちは5連泊して、トゥックトゥックに乗って市内観光をしたり、気球に乗って上空から森に囲まれたアンコール・ワットの全景を楽しんだ。アーティザン・ダンコール伝統工芸品の技術学校を訪れた時、前王シャヌーク殿下の御妃モニク王妃が丁度来ておられているのにぶつかった。職員や学生たちが沿道に並んで敬虔な面持ちで手を合わせていた。そういえば、ポルポト政権が倒れた今は立憲君制主国なのをすっかり忘れていた。