ホームAVION ツアー日記3万5千本の曽我・別所梅林観梅と和食懐石料理の「国府津館」

3万5千本の曽我・別所梅林観梅と和食懐石料理の「国府津館」

3万5千本の曽我・別所梅林観梅と和食懐石料理の「国府津館」

旅人:高城 英雄

曽我・別所梅林
延期に延期を重ねた観梅ツアー

今年の春は遠く、東風がなかなか吹いてくれなかった。例年なら梅は1月末頃から咲き始め、見ごろは2月である。アビオンクラブの観梅ツアーは当然のように2月と決めていた。
毎日のように梅の花暦をインターネットで調べていたが、一向に花は咲く気配が無い。日本列島を南から上がって来る温かい空気と北から下りてくる冷たい空気がせめぎあっていて、何時まで経っても北の力が強く、春光さえも感じさせてくれない。私たちの観梅ツアーは延期せざるをえなかった。
3月に入って突然東風と南風が吹きだし、梅の花が開花し始めた。改めて参加希望者に打診を始め、一旦は3月5日を決行日としたが、日々変わる天気予報では雨風が強い日となってしまった。又、延期せざるをえない。天気予報と開花、それにレストランの予約の可否を睨みながら、最終的に3月8日とした。

人数が大幅に減ってしまった。当日は電車で国府津までグリーン車に乗って向かった。心配した天気は雨が落ちない程度で肌寒い。それでも和気あいあいと話しに熱中しているうちに時間はあっという間に過ぎた。

段差のあるせせらぎ

段差のあるせせらぎ



東風吹かば思いおこせよ梅の花?

到着後、タクシーに分乗して曽我梅林口まで向かった。梅林に入った車窓から見ると「梅祭は終了しました。私有地ですから梅林の中に入らないで下さい」の立て看板が目についた。車から降りるとやはり拡声器で同じことを言っている。多少違うのは梅干しや梅製品を売っているから売店を覗いて欲しいというのが、付け加えられている。商魂とのミスマッチが面白い。三脚の先にカメラをセットした人たちが梅林の側道から顔を出す。ほとんどが年配者たちだ。
枝垂れ梅の林の中で3人の男女が三脚を立てていた。一番クロウトらしい男性がシャッターの構図をあれこれ指図していた。全体を見渡せる小高い場所から見ると梅の花は未だ6~7分咲きといったところか、一番の見頃はまだ先のようであった。
3区画位を歩きまわり写真をたくさん撮った。手袋をしていないと手が冷たく肌寒い。梅の花の、あの甘い香りがしないのは少し強く吹く風のせいだろうか。
それとも花粉症のせいだろうか?

紅梅

紅梅

  紅梅

紅梅2

紅梅と白梅

紅梅と白梅

  紅梅のクローズアップ

紅梅のクローズアップ

白梅

白梅

  白梅の林

白梅の林



曽我梅林について

曽我の梅林の歴史は古く戦国時代に遡るそうだが、明治時代位までは兵士が持つ食料の保存目的や薬効目的で栽培が諸国に大いに奨励されていたのだそうだ。日の丸弁当が生まれたのもこの頃だ。戦後食糧難時代にその多くが切られ、農家にとって収入の多い蜜柑や代替食料の栽培が行われたのだそうだ。
昭和32年に再び梅の里を復活させるプロジェクトが立ちあげられて、今日のような梅林が出来あがって来た。梅の品種は大雑把に3種の梅に分けられ、早咲きの梅は、小田原を代表する十郎、杉田、曙、それに南高梅などがあり、遅咲きの品種としては加賀、受粉の品種で梅郷、竜峡小梅、甲州最小など35000本が植えられている。
しかし、梅林には品種説明が書かれていないので、どれがどれの花だか見分けがつかない。6~7分咲きと思われたのは、実際は遅咲きと早咲きが入り混じっていてそう見えたのかも知れない。もともとここは鑑賞用ではなく加工用だから栽培者にとって、育成・作業しやすいようにしたのだろうから、いちいち名前を鑑賞者に知らしめる必要がないのだろう。

曽我梅林の石碑

曽我梅林の石碑

  梅林の説明

梅林の説明

早々に切り上げて"花よりだんご"

枝垂れ紅梅は綺麗だった。青白い枝をした枝垂れ白梅は未だ花を多く咲かせていなかったが枝垂れ紅梅とのコントラストがとても妙を得ていた。
写真を撮っている人には少し不満の様子だったが、余りにも肌寒いので鑑賞を50分くらいで切り上げる事にした。

枝垂れ紅梅

枝垂れ紅梅

  枝垂れ白梅

枝垂れ白梅

昼食は国府津館だ。再びタクシーを呼んだ。もともと地上にあった国府津館の母屋は火事で焼失し今は無い。左脇の階段を海に向かって下りて行くと、木造の割烹旅館が左右の建物に分かれてあった。明治の時代から多くの文人や有名人、軍人たちが宿をしていたので、為書きのある書が多く残っていると言われている。太宰治の"斜陽"がここで逢瀬を重ねた太田静子の斜陽日記と二人の逢瀬のドラマでできあがったのだという話を店主から聞いた。

国府津館への階段

国府津館への階段

  国府津館入り口

国府津館入り口

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庭から国府津館

今回は椅子席のある洋室を貸し切ってある。 ここには魚博士とよばれる先代当主が客に魚の話をしてくれていたのが有名だったが、今は年老いて若主人に変わっている。魚を主体にしたお料理を頂きながら、様々な話題に時間を忘れた。 建物と海との間にバイパスが走り、大いに景観が変わってしまっているが、やはり海の見える部屋は心が和む。誰かが小さな庭の木に"めじろ"が止まっていると指さした。寒いといってもやはり春を胸一杯に感じた。

午後は小田原に出て"ういろう"や干物屋でのショッピングと"豆の木"で美味しいコーヒーを味わおうということになった。

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