ホームAVION ツアー日記神楽坂でちょっと贅沢な一日

神楽坂でちょっと贅沢な一日

神楽坂でちょっと贅沢な一日

旅人:高城 英雄

神楽坂の一日、和と洋の世界

 昨日まで晴れていたのに、珍しく雨空になった。
 10時飯田橋の西口を出ると、今日のガイド役を引き受けて下さった地元の坂本さんが粋な和服姿で待っていてくれた。

ガイドさんの出迎え

ガイドさんの出迎え



神楽坂の始まりはいつの時代

 大昔この一帯は草地で沢山の牛が放牧されていたところから牛込とよばれていたのだそうだ。その後、日本が統一されてゆく過程で、豪族の間で幾つかの国取り合戦が続いた。

 800年ほど前に今の群馬県赤城山付近に居を構えていた豪族大胡氏が、氏族の鎮守であった赤城神社の分霊を持って牛込に赤城神社を鎮め、城を築いて今日の日比谷あたりまでを治めたというのがどうやら始まりかも知れない。何故牛込に居を構えたか、史述は諸説様々あるそうだ。いずれにせよ、徳川幕府が赤城神社を江戸の総鎮守と崇めて、日枝神社、神田明神と並んで、江戸の三社としたのがこの街の栄えてきた要因であるに違いない。

 徳川が江戸に幕府を構える以前、現在の神楽坂を除いては、整然とした城下町様なものは無かったといわれているから、大胡氏の牛込への移住は城下町形成にそれなりの意義があったのだろう。

牛込橋の礎石

牛込橋の礎石

  牛込橋の説明

牛込橋の説明



神楽坂の入り口

 渡された手許のパンフレットを見ると、いくつかの疑問については一応書いてある。一読して頭に入れ、歩き始めた。神楽坂下から眺める風情は横文字が立文字に入り混じって、突出看板やら歩道に置かれている看板が赤、緑、黒などの色で賑やかに彩っていた。

 神楽坂を少し上った所の右側に老舗"紀の善"がある。明治の昔から寿司屋としてあったものが、戦後甘味と和食の店となった。今では何時でも人で混み合っている。寄ろうと思ったが長い行列に辟易して止めてしまった。

雨の神楽坂

雨の神楽坂

  神楽坂風景

神楽坂風景

神楽小路

神楽小路



神楽坂和の北ブロック

 この"紀の善"を右に折れると"神楽小路"、細い路は嘗て花柳界で賑わった界隈の入り口だったのだろうか。ガイドの坂本さんが紀の善について一通りの話をした後で、神楽小路を抜けて私たちを軽子坂下に案内した。「神楽坂と並行しているこの道は鎌倉時代からあった重要な道です。どうして軽子坂の名前が付いたのか、謂れは江戸時代に交通や運搬の利便を図る為に、江戸城の外堀として運河が掘られたことに始まるのです。そして、この辺りに津がおかれ、あちらに見える神楽河岸(飯田橋駅北口あたり)で、諸国から運ばれて来たたくさんの荷が水揚げされました。大勢の人夫たちが軽籠を背負って運んでいたことからきたのですよ」今の軽子坂はすっかり地上げされ、新しいビルが軒を連ねていて往時を偲ぶこともできない。



かくれんぼ横丁

 坂を上って"かくれんぼ横丁"に私たちを誘い入れた。かくれんぼ横丁の呼称の由来についてもいろいろ聞いていたが、ここで生まれ育った坂本さんはあっさりと「僕たちが子供時代ここでよくかくれんぼしたものですよ。通りに呼称が無かったものだから、僕たちが"かくれんぼ横丁"と付けたのですよ」と説明した。あまりロマンチックな響きは無いがまあ良いか。しかしそれとは裏腹に、細い石畳の道の両側には、黒塀の料理屋が点在している。

 丁字路を突き当って、兵庫横丁に抜ける石畳の細い路地には、ちょっと瀟洒なサロン・ド・テなるフランス料理の店が和建築の間に顔を出していて、横文字の店もちゃんと所在を主張している。

 この辺りには"和の風情"が色濃く漂っている。これで、蛇の目傘でもさした和服姿の人がちょっと顔をそむけながらつま先に雨除けをつけた"こっぽり"で楚々と歩き、どこからともなく三味線の音でもかすかに聞こえていたらもうたまらない。きっとこの雨も気にならないだろうなどと思えた。

かくれんぼ横丁

かくれんぼ横丁

  かくれんぼ横丁の突き当たり

かくれんぼ横丁の突き当たり

石畳の路

石畳の路



兵庫横丁の怪

 本多横丁から兵庫横丁に入ると和の趣は一層色濃くなる。文人に愛された黒塀の旅館"和可奈"や風格のある料亭"幸本"などがあり、その先は数段の階段が繋がっている。摺れ違った女性たちの会話が耳に入って来た。「細い路地と階段って危ないわよね。歩き辛いわ」全くやぼな観光客たちだ。私たちはこの風情や趣を訪ねて、往時の良き時代を偲んでいるというのに。

 階段を上ると、細い鍵の字形の路地になっている。左に進むと、坂本さんが立ち止った。「暑い夏でも冷房機を置かないという椿の木に囲まれ、簾を下げた風変りな居酒屋"伊勢藤"がこの角にあります。ここは一汁三采、酒は日本酒しか出さないという店ですが、和の雰囲気も味も抜群だと人気の店ですよ」と説明する。その前にはどういう訳か、フランス居酒屋ブルターニュが緑の日除けを突き出している。しかし振り返って見るとこの両者が釣り合っているからなんとも不思議だ。かくれんぼ横丁も良いが、この兵庫横丁は神楽坂で和に浸る一番の所ではないかと思った。

兵庫横丁の老舗旅館と料亭

兵庫横丁の老舗旅館と料亭

  兵庫横丁の老舗

兵庫横丁の老舗



毘沙門天

 通りを抜けた突き当りに毘沙門天がある。神楽坂を登りきったところで坂はここから再び下りに向かって行く。毘沙門天はほぼ中央にあるところから神楽坂繁栄のシンボルとして親しまれている。毘沙門天は寅の年の寅の月、寅の日の寅の刻に生まれたところから、毘沙門天の左右には狛犬ならぬ狛虎が鎮座している。

 寅の日と併置されているお稲荷さんの午の日には縁日で賑わうそうだ。年四回、寅の日にはご本尊の御開帳が行われる、次回は来年1月16日だそうだ。

毘沙門天と狛虎

毘沙門天と狛虎

  毘沙門天の菩薩

毘沙門天の菩薩



仕上げは"うを徳"で

 ミシュランの星を一つ貰っている"うを徳"は明治の始めから伝わる、尾崎紅葉や泉鏡花に愛された由緒ある料亭だ。今日のもう一つのイベントは、このうを徳で芸者さんの舞を愛で、三味線の音色を楽しみながら昼食を摂ることだ。黒塀の門を入ると、一間ほどの玄関がある。入ってすぐ右手にある古びた階段を上がり大広間に案内された。いかにも古い建物で往時の艶やかさを偲ぶことはできない。

 それでも、食事と同時に芸者さんや88歳だと云う三味線の地方さんが、若々しい立ち居振る舞いでお酌やお給仕をしてまわると一遍に座が華やぎ和んだ。

 一通り食事が終わるころ、芸者さんの舞が三味線の音に誘われるように始まった。立ち居振る舞いがなんとも優雅である。頃会いをみてお座敷遊びの紹介が始まった。"金毘羅ふねふね~"の三味線の音に合わせて、肘かけ台の上の中央に置いた酒の袴を、向き合った者同士で取り合うというゲームに誘った。

 いつの間に聞き出していたのか、小唄をやっているお客様を芸者と地方が一緒になって"酒は飲め飲めのむならば~"を唄いましょうと緋毛氈(ひもうせん)の上に誘っていた。こうしてあっという間に2時間が終わったが、いかにも楽しい一日であった。

料亭うを徳と芸者

料亭うを徳と芸者

  芸者遊びのコーチ

芸者遊びのコーチ

お客様の小唄

お客様の小唄

このページのトップへ ▲