ホームAVION ツアー日記ブルートレイン(ブルートレイン&南アフリカ)レポート2

ブルートレイン(ブルートレイン&南アフリカ)レポート2

ブルートレイン(ブルートレイン&南アフリカ)レポート2

数万羽のフラミンゴが見えるぞ!


フラミンゴ

ブルートレイン夕暮れが迫る頃、4時頃だったろうか、突然車内放送が始まった。とぎれとぎれであるが「フラミンゴが・・」と聞こえた。急いで部屋から通路に出て見ると、放送を聞きつけた人々がカメラを持ち出して、通路一杯になっていた。やがて湖が見えてきた。確か、「カンファーズ湖」と言っていたような気がした。

眼をこらすと、岸辺にピンクの大きな固まりが蠢いている。さらに別の大きな固まりが水の中にも、陸地のあちらこちらにも見える。

「あ!あれがフラミンゴだ!」と思わず叫んでしまった。片足で羽を広げてダンスをしているフラミンゴの姿が見えるものと咄嗟にイメージしたのだが、遠望できたのはピンクの絨毯だった。


数万羽もいるのだろうか。これがもっと明るかったら、ハッキリ見えて素晴らしかっただろうな等と思っている内に通過してしまった。徐行してくれれば良いのに!


シャッターをたくさん切ったが、帰ってから見てみると、夕暮れの景色の中に幾つかの固まりが写っているだけで、余りハッキリ写ってはいなかった。

「ビッグホール」とセシル・ローズ

午後5時。7時間かけて列車はキンバリーに着いた。もう日が落ちかけている。うす暗くなった中、列車が遅れたこともあって、40分ばかりのダイヤモンド発掘跡の「ビッグホール」見学が予定されていた。

駅の外にはバスが2台待っていた。それぞれに英語ガイドが付いている。車は5〜6分程走ると、キャラバン・パークの前にある「キンバリー鉱山博物館」に着いた。

1890年、ケープ英領植民地州の首相であり、後に南ローデシアを建国した「セシル・ローズ」が、ロスチャイルドのバックアップで、たくさんあった中小のダイヤモンド採掘会社を買収、統合して今日の「デ・ビアス」社を作り上げたのだ。その過程で出来た採掘現場である。

セシル・ローズについて、私が中学校時代に習った記憶が蘇ってきた.この南アフリカのダイヤモンドや金の資源に着眼した彼は、本国の植民地相チェンバレンに「我々(イギリス人)は世界第一等の人種であり、もし神がこの世にいますならば、この私に南アフリカの地を出来るだけ多く、英領の地とさせ賜うだろう」と手紙を送り、けしかけて、帝国主義・植民地政策を強力に進めさせたという人物なのだ。

37年間かけた欲の跡

私達は入り口から真っ直ぐ「ビッグホール」に向かった。本当に大きな穴である。底の方に水が溜まっている。「1871年から37年間かけて、無数の強者どもが掘った、欲と汗と血の結晶の跡ですよ」とガイドは言う。深さ393m、周囲1.6kmの巨大な穴である。

博物館の中に入ると、ダイヤモンド発見から今日までの歴史を現すパネルが壁に貼られ、中央にはレプリカではあるが、21.25カラットの「ユーレカ」と呼ばれる最初に発見されたダイヤモンドや、「南アフリカの星」と呼ばれる83.50カラットのダイヤモンドが飾られている。最近キンバリー郊外の鉱山で採れた66.66カラットのダイヤも展示されていた。現在でも一日にこれだけ採れるという量の、ダイヤモンド粒の固まりが無造作に置かれてある。

カラットの呼称はどうやって決まったの?

カラットについての説明をガイドがした。サヤえんどうに似た植物のサヤから取り出した一粒の実の重さが1カラットで、昔はそれを計りの基準にしていたと聞いて、皆「へぇ〜」と驚いた。植物の名前は記憶出来なかった。因みに1カラットは0.200gである。

説明が終わると、庭に20台くらい置かれた仕分け台の上に、砂粒大の砂利がまかれ、小粒のダイヤモンドが中に入混じっているラッキーな台があると言うのだ。皆一生懸命探したが、20台ある中で、1人見つけることが出来ただけであった。

列車に戻り、夕食をとった。夕食の間にベッドが用意されていた。部屋の雰囲気ががらりと変わり、すっかり夜のムードになっている。なかなか寝心地が良さそうである。

アフリカの美しい夜明け


朝日

10時半頃眠りに落ちた。確かに寝心地は良かったようである。しかし2時頃であったろうか、激しい揺れで眼がさめた。鉄床が悪いのか、一寸の間ではあるが、きしむ音が耳について寝られなくなってしまった。

「6時頃の夜明けの空が美しい」と前夜エディに言われていたので、寝過ごさないようにと思うと尚更であった。

5時45分頃、空が白みはじめ、朝焼けの雲が拡がってきた。幾重にも重なりあっている雲の襞があかね色に染まって美しい。雲が次第に覆い始め、朝日の顔を拝むことは難しそうだった。

6時15分だったろうか、やや昇ったお日様が、雲とちょうど通過していた山の間に顔を出した。

エディのコーヒーと車窓の景色

エディがコーヒーを運んできた。ひきたての香りのする美味しいコーヒーである。器やミルクが暖めてあり、心細やかな丁寧な味作りである。
6時40分、辺り一面羊草に覆われた草原と山々である。雲の切れ間に見える空は青く、エディは「良い天気になりそうだ」と言う。山々の岩肌は海面から隆起した水成岩で、重なり合った地層をあらわにしている。
明らかに西ケープ州のカルー国立公園に入ったのだ。次第に景色が変化する。ヘックスリバーというところにさしかかると、トンネルに入った。とても長い。時計で計ると22分かかった。全長16km、一番長いのが13.5kmで3つに分かれていた。
ラベンダーの紫の花があちらこちらに群生している。黄色い花の畑が一面に拡がっている。一体何だろうか、菜の花か、からしの花なのか聞くすべもない。
やがて栽培しているぶどう畑が山肌を這うようにつながっているのが見えてきた。ワインランドに入って来たのだろうか。山はいつの間にか緑に覆われていた。せせらぎが流れている。トウズ川であろうか。

ケープタウンが近づいて来た

山の上に、オランダの入植者(アフリカーナー)にとって重要な記念碑が建っているのが見えてくる。もうこの辺り一面ぶどう畑だ。その昔、キリスト教の新教徒ユグノーが、フランスを追われてオランダ政府に頼ったが、うまく説得されて、ケープタウンへオランダの農民と一緒に入植させられたと聞いている。彼らが、フランスからシャルドネ、リースリング、ソーヴィニオンなどの代表的なぶどうの種を持ってきて栽培したのが今日に至っているのだ。ステレンボッシュは今や南アフリカ最大の葡萄酒の産地になっていて、美味しいワインとして世界に名を馳せている。


ベッド

もう1時間以内でケープタウンに着く。やがて進行方向にテーブルロックが見えてきた。都会と海の香りがしてきた。長い間夢見ていたブルートレィンの旅はいよいよ終わりに近づいてくる。
 コンパクトではあったが、快適な居住空間だったリビングやラウンジでの語らい、展望車で移ってゆく景色の中に身をゆだねていたこと、そして美味しかった食事とワインなどが思い出のページに移り変わっていこうとしている。

エディやローレンスさん、本当に有り難う!細やかなもてなしで楽しい汽車の旅が満喫出来ました。

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