ホームAVION ツアー日記ブルートレイン(ブルートレイン&南アフリカ)レポート1

ブルートレイン(ブルートレイン&南アフリカ)レポート1

ブルートレイン(ブルートレイン&南アフリカ)レポート1


ブルーカラーの誕生

いよいよ出発前から大きな夢だった、ブルートレインに乗る日がやってきた。


ブルートレインの名はイギリス王室のカラー、ロイヤルブルーと文明発祥の地ギリシャを取り囲んでいる地中海のブルーに因んで付けられている。王侯・貴族が好む優雅なサービスと文明の粋を尽くしたホスピタリティを提供しようということをモットーに、車体をブルーに塗り替えたのは1946年である。

わくわくしながら駅に向かった


エディが世話係(バトラー)

駅のブルートレイン専用の入り口から中に入ると、専用受付カウンターと広いラウンジがある。いろいろな国籍の人達が既にラウンジの大半を占めていて、がやがやと話に花を咲かせていた。これから乗るブルートレインについてでも語り合っているのだろうか。
スーツケースは荷物車に預けずに、コンパートメント(部屋)に入れてもらう為、あらかじめ渡されてあった部屋番号を荷札に記入してポーターに預ける。
9時までにチェックインしなければならないということで急いで来たのであったが、アナウンスがあり、列車の入線時間が遅れ、どうやら出発時間が遅れそうである。
9時50分。やっと搭乗案内が始まった。指定号車へやってくると、車両付きのバトラー「エディさん」が出迎えてコンパートに案内してくれた。なんと、先ほどスーツケースを預けた時、ポーターだと思った人達の中にいた一人だ。
しばらくして、エディがスーツケースを運んで来た。「おーいこのトランク何処に置く」「あの上の棚には入らないか?」エディが上に持ち上げて首を振る。「え、駄目?どーしよう」。私は同室の相棒と頭の中でパズルを解くように、部屋のスペースでの使い方について考える。結局、スーツケースを洗面所と居間の境に置いてみた。
部屋がやや狭い感じになった。部屋の通路側の上部に荷物入れの棚があるにはあるのだが、厚味のあるスーツケースが入る高さはない。「エディ、今度改装する時はトランクを入れられる棚にするよう会社に言ってよ」と私。

コンパートはオリエント急行とこんなに違う

コンパート自体は広めで、ソファーが2つ壁側に並び、窓側に置かれたテーブルを挟んで移動式の椅子が1脚置かれてある。ベッドは壁にはめ込み式になっている。長さ4m、幅2mの客室である。狭軌ではあるが、他の国の寝台車よりかなり広い。比較してみると、日本の最新鋭の寝台車「カシオペア」のデラックス・ツインの客室は約2m四方である。ヨーロッパを走るオリエント・エクスプレスの場合はオリジナル・ダブル・キャビンで、約2mと1.5mで、2段ベッドである。同じオリエント・エクスプレスでも東南アジアやオセアニアで走らせているものには、ステート・ルームといってブルートレインとほぼ同じ大きさのものもある。
私達のブルートレインについての夢と期待はもっと大きく、もう一寸大きく、デラックスかと思っていた。しかし、コンパクトではあるが機能的で、快適に出来ている。

時速62キロで26時間の旅が始まった


昼間の客室

窓は部屋の大きさ一杯にとられていて大きく、室内は明るい。10時を過ぎて、いつの間にか列車は動いていた。テーブルの上には一輪挿しに花が飾られ、良く冷えたボトルの水2本と、お皿の上に果物等が置かれている。よく見ると小さな置き時計も置かれていて、ほのぼのとしたリビングとなっている。
洗面所は畳一畳くらいの幅で、コンパクトではあるが、シャワールームも付いている。窓の日除けは全自動化されていて、テレビのリモコンを通風口に向けると、上げ下げ出来るようになっている。テレビは進行方向の景色を写し出していた。



ベッドルームに早変わり

列車は18両編成である。客車は10両、ラウンジカーが2両、展望車1両、食堂車と調理専用車が各1両、その他、動力車2両とスタッフの車1両がついている。
定員84名にスタッフが40名、2名のお客に1名のスタッフがいるということだ。
この列車は、これから平均時速62km位で、ケープタウンまでの1600kmを26時間かけて走るのである。ゆったりとした時間を楽しむことになる。

ローレンスさんがやって来た


レストラン

少したって、全体をマネージしている車掌「ローレンスさん」が黒い詰め襟の服を着てやって来た。ラウンジや展望車の位置、列車内での飲み物、食べ物など総て料金の内で無料だと案内をしてくれた。さらに話を続け「食事の際の洋服はややドレッシーなものが良いですね。食事は2部になっていて、予約が必要です。さっき飲み物は無料といったけれど、輸入フランス産ワインは別で有料になっています」などと注意事項を重ねた。「車内のチップは原則ノーチップで、下車するときにキャビンあたり、20ドルを袋に入れておいて下さい」と私達の一番心配なことについても話してくれた。私達の昼・夜・朝の食事をファーストシッテング(一回目の食事)でお願いした。昼ご飯は12時である。

バラック群が見える

ヨハネスブルグを離れると、郊外へ拡がっている高級住宅や工場群が幾つかの丘を越えて続いている。
100年ほど前はこのあたり、どう猛な動物達が徘徊する湿地帯や荒れ地であった。それが、湿地帯に流れ込んでいた河口付近で金が発見され、町が出来、急速に発展したのがヨハネスブルグである。
アパルトヘイト時代以降、荒廃したヨハネスブルグの中心部を離れて、地方や郊外に避難した人々と企業を呼び戻す計画が1998年に始まり、成功しはじめているのだろう。しかし、その外郭には日本の戦後住宅のようなバラック群がある。アパルトヘイト時代の名残なのだろうか、黒人たちの住家だ。昔、香港の九龍に住んでいたことがあったが、空港から街に入る直前の山に、重なるように連なっていたバラックの光景が思いだされた。更に続いて、小振りながらも戸建て住宅が建ち並んでいる。それらは確か「収入を得た人達がバラックから移り住んでいる集落だ」とヨハネスブルグのガイドが言っていた。

お昼時間がやって来た

ラウンジや展望車、ブティックの店(売店)などの探検をしているうちに、すぐ昼食の時間がやってきた。食堂車のテーブルは4人掛けと2人掛けである。定員は42名、一回に乗客の半分を賄うことが出来る。今日のお客さんは、7分の入りである。メニューはエスカルゴの前菜とスープ、メインはローストビーフ、デザートは洋梨のシロップかけであった。手を加えたエスカルゴもローストビーフも大変美味しく、好評であった。



エスカルゴの前菜

お茶はラウンジで飲むことになっている。多分セカンド・シッテングの時間が迫っているからだろう。実際、セカンド・シッティングの場合は食堂車でゆっくりお茶も楽しめる。ラウンジは喫煙と禁煙の2両になっていた。
私達はラウンジに移り、思い思いの飲み物を注文する。そこでブルートレインに乗っての感想や、サビ・サビで3グループに別れてサファリをやった結末などいろいろな話に花が咲いた。ライオンを見られなかった人達にたいして「あれはゲームで運が左右するんだ」「いや、レンジャーが3台の中で一番若かったから経験不足じゃなかったか」「私達は日本でカシオペアに乗ったけれど、これに比べると全く問題にならない位狭いし、雰囲気がなかったですよ」「ほんとにこれは思ったより広くはないけれど、居住性が良く、快適にできているよね」など話が弾んだ。ライオンを見られなかった人達が持っていた多少のわだかまりが発散され、グループの一体感が一層深まったようだ。

ラウンジのような展望車

最後尾の展望車に行ってみると、広々とした空間があり、どちらかといえばラウンジと同じだ。他の国で乗った展望車は、一般に座席が多く、窓は天井まで大きく開け、空を含めた景色をパノラマで眺められるようになっている。座席に座った人達がお互い会話を交わし合うう場所にはなってはいない。しかしこの展望車は違う。窓は大きく、最後部は窓で解放されてはいるが、天井はガラス張りになってはいない。20脚くらいの椅子と10ばかりの机が置いてあるだけで、ゆとりの空間がたっぷりある。



展望車

ヨーロッパから来たと思われるカップルが数組、その窓辺の席に座っていた。一番後部で、窓を挟むように置いてある席に座っていたカップルが声をかけてきた。「私達はヨハネスブルグに住んでいるのよ。去年は10月、休みを取ってビクトリアフォールズに5日かけて行って来たの。今年はこのブルートレインに乗るのがとっても楽しみで、休みを取ってケープタウンを含めて1週間の旅を計画したのよ。あなた方は日本人?随分遠いわね。日本へは10年前に東京だけだけど訪れたことがあるのよ。とても清潔で綺麗な良いところだったわ。」と話しかけてきた。「今は香港乗り換えで、約19時間でこられるのですよ。私達の旅は15日間で、最初にサビ・サビに行ってアースロッジに泊まって来たし、ケープタウンの次にビクトリアフォールズにも行くのです。アースロッジを知っていますか」と話すると、「サビ・サビのアースロッジとブルートレインなんて豪勢だわね。デラックスだわ〜。どうか大いに南アフリカを満喫して、遠い国の存在だけど良くこの国を知って帰ってくださいね」と言われた。


ヨハネスブルグに住んでいる人にとっても、やはりブルートレインはあこがれなのだ、と妙に感心した。

窓辺に置かれたテーブルに座っているカップル達は、本を読んだり、おしゃべりをしている。景色だけを楽しんでいるわけではないようだ。皆ゆったりとした時間の中にとけ込んでいる。


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